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山村流 『吾斗ごのみ』日本舞踊上方舞山村流宗家山村友五郎 公式ブログ
2009/03/18 (Wed) 日本文化塾

nihonbunkajuku.jpg

http://www.osaka-shoin.ac.jp/univ/japan_culture/index.html

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大阪樟蔭女子大学ご主催の「日本文化塾」に妹の光ともども実演参加させていただきます。上方芸能に焦点を定めた「舞う、謡う、語る...精選上方伝統芸能シリーズ」の3回目5月23日(土)13時から14時30分までの催しです。

山村流の源流である『歌舞伎舞踊』から長唄「浦島」を僕が、本流である『地唄舞』から地歌『ゆき』を光が勤めさせていただきます。

妹は樟蔭中・高出身ですので、お話を頂いて喜んでいます。5月も忙しくなりそうです。

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2009/01/27 (Tue) 楽正お師匠さん

楽正遺影
 
今日は、楽正おっさんの本葬でした。(お師匠さんを大阪弁でおっしょさんとも呼びますが、我々は「お」の字を大きく発音しおっさんと呼びます)
大きいおっさん方(若しげ・若栄・若津也)から、少し年齢が離れて楽正おっさんまでが山村流の高弟と呼ばれる方々でしたが、おっさんが亡くなられて皆居られなくなりました。僕の子供の頃には既に大スターだったおっさんでしたが、流儀の中では大きいおっさん方を立てられ常に気を遣っておられただけに今頃はまた、向こうで気を遣っておられるのではなどと思っています。

一門や一般の方々、また、文化庁をはじめとして東京からも沢山ご参列頂き改めておっさんの大きさを感じました。竹本住大夫お師匠さん、西川扇蔵ご宗家、桂米朝師匠、井上八千代お家元、楳茂都梅咲お師匠さんからそれぞれりっぱなご弔辞をいただきました。

母の葬儀から始まって喪主や葬儀委員長を幾度も勤めました。自分の身に近すぎるとかえって涙も出ませんでした。若津也おっさんの時も、大叔母の亡くなった直後で泣いている場合ではありませんでした。葬儀委員長という立場であるのに今回ばかりは不覚にも涙をこぼしてしまいました。

きっと、おっさんと自分との関係は適度な距離感で繋がっていたのだなと思いました。
                                                 合掌

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2009/01/12 (Mon) 宗右衛門町"街づくり″応援募金

宗右衛門町

平成23年に完成を目指す宗右衛門町通りの電線地中化、「石畳の道」復活を含めた道路美装化などの街づくり事業の資金のためにと募金箱を預かりました。
風情ある街であったミナミが今のようになってから、ずっと何とか出来ないものかと悶々としていただけに、少しでもお役にたてればと、稽古場に置かせていただきました。

次の時代にどんな景観を残せるか。大阪の街が今のままでいいのかとずっと考えています。
事業にご賛同いただける方は下記にお問い合わせ下さい。

宗右衛門町商店会 
〒542-0084 大阪市中央区宗右衛門町4番4号2階 
℡ 06-6214-5925

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2008/12/22 (Mon) 三代目・楳茂都扇性襲名

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片岡愛之助丈が三代目・楳茂都扇性襲名の為の挨拶に来てくれました。

京都の井上八千代ご先代さん、吉村雄輝お家元さんをはじめ各界の方々に紋付袴でご挨拶に廻った16年前の自分自身の襲名を思い出しました。
八千代お師匠さん、雄輝お師匠さんには襲名披露の舞踊会にも、ご出演頂きました。

流儀でも、四天王と呼ばれた、若しげ、若栄、若津也のお師匠さん方、楽正お師匠さんと皆揃って出演していただき、思えば本当に恵まれた襲名でした。
皆、ご高齢でしたから、もう2度と出来ぬ立派な舞踊会をさせていただきました。

楽正お師匠さんが先日亡くなり、上方舞の世界は大きな星を失いました。
しかし、楳茂都流家元の襲名で、上方舞では24年ぶりに四流の家元が揃うようになります。
自分自身もすぐに替わりが勤められたわけではありませんでしたが、いろんな方々の入れ替わりとしての役割を担ってきたように思います。

宇宙では、常に星が誕生し、また、消滅してゆきます。
楽正お師匠さんの死は一つの時代の終わりとともに始まりでもあるのかもしれません。
それが、伝えること、繋げることなのかと感じています。
また、そう信じて、これからも努力してゆかねばと思っています。

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2008/11/13 (Thu) 上方からの目線

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山村流の流祖・友五郎は3代目・中村歌右衛門と子供芝居で共に舞台を勤め、歌舞伎役者となり、後に歌右衛門の振付で振付師としての地位を確立することになります。ですから、歌右衛門さんの「狂乱」ということで「歌右衛門狂乱」という名の演目が残ったりと、山村家では、歌右衛門ゆかりの曲は流祖より伝わっている曲である証であり、特別大切に扱われています。

地唄や上方唄は上方のものであるはずなのに、江戸の地名を詠んだものもあります。
地唄「傾城」上方唄「文月」などがそれにあたりますが、大坂の役者であった歌右衛門が江戸下りの折に勤めた曲を故郷に持ち帰り上方の地でそれが定着し残されたためだと考えられます。

山村流の手ほどきの曲の一つに端唄「夕暮れ」という曲があり、隅田川周辺の情景を詠っていますから、何故うちの手ほどきに使われているのか不思議だったのですが、こんな小曲でも流儀に伝わっていった背景を改めて考えれば感慨深いものがあります。

従来の研究書や解説書を読むと大抵が、東京からの目線で書かれていることに気がつきますが、丁寧に古い大坂の文献や上方絵、歌舞伎番付をたどってゆくと祖母や大叔母、古い師匠達の言っていたことなどが思い当たったり、また、振りの意味が明確になったり「パズル」が解けたような気持ちになる時があります。今のうちにそれを文字にしておきたいと思ったことが「流誌」を発刊したり、ブログを始めたりした動機です。

上方の目線で遺されたものを検証し、次の時代に伝えたい。これも大切な使命だと思っています。

上方 | comment(0) |


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プロフィール

山村 友五郎

Author:山村 友五郎
本名・山村 武
文化3年(1806年)創流、上方舞・山村流の六世宗家。祖母である四世宗家、早逝した母・糸(五世宗家を諡)の遺志を継ぎ、平成4年に「若」を襲名。
流祖 山村友五郎よりの歌舞伎舞踊と、京阪神で発展した座敷舞(地唄舞)という二つの流れを大切に、古典の維持・伝承に努め、歌舞伎・文楽・宝塚歌劇等の振付も数多く手がけている。
平成18年には創流二百年舞扇会を開催。
平成26年、流祖の名跡を「六世宗家・三代目友五郎」として襲名。併せて長男が「四代目 若」を襲名。

【賞暦】
平成13年
文化庁芸術祭新人賞受賞
平成15年
舞踊批評家協会新人賞受賞
平成18年
芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞
平成19年
文化庁芸術祭優秀賞受賞
平成20年
日本舞踊協会花柳壽應賞新人賞受賞
平成21年
大阪文化祭賞受賞
平成22年度
芸術選奨
文部科学大臣賞受賞
平成26年度
日本芸術院賞受章
令和2年(2020年)
紫綬褒章受章

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