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山村流 『吾斗ごのみ』日本舞踊上方舞山村流宗家山村友五郎 公式ブログ
2008/12/15 (Mon) 継ぐこと伝えること

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継ぐこと伝えることについて、考えています。
伝えられた者は伝えられたと考えるけれど、伝える方は完全に伝えることが出来たとは決して思わないし,
すべてを伝えられるとも考えていない。
何十年もかけて磨き上げた技術や芸も肉体が滅びてしまえばそれで終わりです。
自分は「伝えられた」と信じ、それを口にする者ほど自分の芸をそれ以上高めようとせずに満足してしまう。

今年も12月13日の事始めが終わり、新しい年を迎えようとしています。
13日は楽正の密葬の日となりました。
子供心に、楽正の扇さばきを瞬きもせず見入ったこと。それから扇をおもちゃ代わりにしてずっとまわして遊ぶようになったこと。ある意味で自分の目指すところはここなのだと思ったこと。
お師匠さんの魂はまだそこにあるような気がして、本年のお鏡だけは飾らしていただきました。
「芸は一代」で儚いものだとつくづく思います。それでも、繋いでいかなければと思っています。

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2008/11/28 (Fri) 地歌「猿蟹昔物語」

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山本能楽堂さんで催されてる「初心者のための上方芸能ナイト」の12月20日の演目を何にしようかと考えていると「12月は仇討ち」というヒントをいただきました。12月は「討ち入り」に因み仇討ちでということになり「猿蟹昔物語」を出すことにしました。

菊重精峰さんの創作地歌に振りを付けさせていただいた作品で、文字通り「猿蟹合戦」を地歌にしたものです。子供さんでも分かる内容ですし、歌詞に添った振りが付けられているので初心者の方も楽しんでいただけるかと思います。舞う本人は結構コサックダンスのような振りできついのですが・・・。

菊重さんによると来年のリサイタルでは、この続編が出来ているそうで、また、振りを付けて出演させていただくそうです。

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2008/11/18 (Tue) 道中双六

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11月22日(土)の国立劇場『舞の会ー京阪の座敷舞』で着る「道中双六」の衣裳がようやく出来上がってきました。若津也の形見の縞小紋の直しがなんとか間に合いました。やわらかい茶系統の縞が東海道の宿場宿場をめぐっていくイメージに合うような気がしています。
 
着物の「いき」というのは関東と関西では違いますが、色目、柄だけでなく、着方にも違いを感じます。例えば、女性の襟の合わせ方や男性の袴も(山村では、かもしれませんが)「ずろっと」長めに着て、袴が高いのは嫌がります。座敷舞では足元をうるさく言うためかもしれません。

また、同じ演目でも上方舞各流の好みがあるように思います。そういった「好み=いき」の違いも『舞の会』のお客様に見ていただければと思っています。

地唄(地歌)「道中双六」

【詞章】

筆の鞘 焚いて待つ夜の蚊遣りより 香のすがりは簪の 算木も捨て 車座に
廻り初める双六は 五十三次手の内に 投げ出す賽の目くばせに 壁にまじまじ 大津絵の
振り出す遣り手先払い 座敷踊りの中入に 仲居が運ぶ重箱は 姥が餅かと口々に
坂は照る照る鈴鹿の茶屋に 花を一もと 忘れてきたが 後でや後で咲くやら それ開くやら
よいやな ああ よいの土山雨と見て 曇るさし日を迎い駕 人目の関に門立ちの赤前垂の夕でりに
おじゃれおじゃれの手を引いて おっと 泊まりの床とれば 眠ぶる禿の浪枕
七里も乗らぬ曳き船に 綱手かなしむ憂いおもい 一間に籠る琴の音は岡崎 岡崎女郎衆ははし女郎衆 一夜妻から吾妻路に夜も赤坂のきぬぎぬに かざす扇の裏道を見附越すほど恐ろしき
音に聞こえし大井川 岸の柳の寝乱れて ここは島田の逗留かいなさればいな つもるなさけの雪の日は 不二に雲助ぶらぶらと 格子の外のころび寝に 夢は三島 箱根山 上り下りの恋の坂 飛脚の文の神奈川や 御ぞんじよりの土産には 江戸紫のエ

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2008/11/02 (Sun) 黒髪

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今日は11月6日(木)のそごう劇場における「上方舞と上方文化」で解説をしてくださる演劇評論家の廓正子先生と打ち合わせを致しました。廓(かまえ)先生は私が生まれた時、『女系で続いてきた山村流に男の子が生まれました』と新聞記事に書いてくださった先生です。

「上方舞と上方文化」では地唄「黒髪」と長唄「浦島」を舞わせていただきます。
「黒髪」を舞台で舞わせていただくのは初めてです。着流しで(これも珍しい)舞おうかどうか迷ってます。若津也の形見の縞の小紋と一緒に頂いた襦袢を「比翼」に付けるようと頼んである衣裳が出来上がってから決めようと思っています。

地唄『黒髪』

【詞章】
黒髪の結ぼれたる 思いをば とけて寝た夜の枕こそ 
独り寝る夜はあだ枕 袖はかたしく つまじゃと云うて 
愚痴な女子の心と知らず しんと更けたる鐘の声 
昨夕の夢の今朝覚めてゆかし 懐かしやるせなや 
積もると知らで積もる白雪

【解説】
地唄「艶物」の代表的な曲です。
雪の積もる靜かな夜に片袖を夫に見立てて独り淋しく寝る女の思いを詠っています。
「艶物」とは地唄の中でも、捨てられた女心の哀れさを、枕詞、縁語、掛け言葉などによって包み込まれ優艶に詠われた作品を指しています。「黒髪」は手ほどきの曲にも使われますが、子供の頃から嗜みとして地唄や地唄舞に触れ年を経るにつれその曲趣を理解出来るようになり深く味わうようになるというのが、上方文化の奥深さであると思います。

「大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)」で源頼朝の正妻・政子への嫉妬の念に悩みながら辰姫が髪を梳くという場面では長唄(めりやす)として用いられています。上方の唄が芝居の中で使用される事や、歌舞伎の曲が上方で流行し地唄になることもあり、芝居に密接な曲の一つです。

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2008/09/20 (Sat) 上方絵 「傾城」(けいせい)


上方絵
「十二月の内 まさ月」 
「蓬莱に聞きたし君の初便り 芝翫」 
文化14年(1817)3月 角座 大切所作事
 『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』 
大判錦絵 長国画 

地唄(地歌)『傾城』 詞章
かすむ夕べに見渡せば 土手を四つ手の通う神 浅茅が原の月の夜も 待乳のぬるる雪の日も 来るとは梅にうぐいすのほうほけきょうの ほの字とは 知っていながら水にすむああ恥かしの初かわず
ええしょんがえ ふけて寝る夜の閨の戸を たたくは夏の水鶏か打つとは秋の狭衣か 袂に残る移り香を しめて伏籠の埋み火に あたりの春のうら若葉 七草そえて幾千代も 栄え栄うるためしかな

三世・中村歌右衛門が文化14年角座で12ヶ月を踊り分けた『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』の正月「傾城」の歌詞の後半を地唄に移したものです。『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』が流祖・山村友五郎の振付であることから山村流に伝わる地唄の演目でも最も古いものの一つです。
 文化10年江戸中村座で歌右衛門のライバルであった三世・坂東三津五郎がつとめた同じく12ヶ月の所作事『四季詠寄三大字』(しきのながめよせてみつだい)の内の正月「傾城」(別名・門傾城)の歌詞をそのまま用いていますので江戸吉原周辺の地名が詠み込まれています。
 
 文化10年正月 中座における「慣ちよつと七化(みなろうてちょっとななばけ)」同・3月「慣やはり七化(みなろうてやはりななばけ)」における七変化が地唄となったのが「江戸土産」で、その中の「傾城」(別名・「仮初の傾城」かりそめのけいせい)から地唄にうつされたのが「閨の扇(ねやのおおぎ)」です。
  
地唄「傾城」は、10月11日(土)国立文楽劇場「東西名流舞踊鑑賞会」にて舞わせていただきます。

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プロフィール

山村 友五郎

Author:山村 友五郎
本名・山村 武
文化3年(1806年)創流、上方舞・山村流の六世宗家。祖母である四世宗家、早逝した母・糸(五世宗家を諡)の遺志を継ぎ、平成4年に「若」を襲名。
流祖 山村友五郎よりの歌舞伎舞踊と、京阪神で発展した座敷舞(地唄舞)という二つの流れを大切に、古典の維持・伝承に努め、歌舞伎・文楽・宝塚歌劇等の振付も数多く手がけている。
平成18年には創流二百年舞扇会を開催。
平成26年、流祖の名跡を「六世宗家・三代目友五郎」として襲名。併せて長男が「四代目 若」を襲名。

【賞暦】
平成13年
文化庁芸術祭新人賞受賞
平成15年
舞踊批評家協会新人賞受賞
平成18年
芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞
平成19年
文化庁芸術祭優秀賞受賞
平成20年
日本舞踊協会花柳壽應賞新人賞受賞
平成21年
大阪文化祭賞受賞
平成22年度
芸術選奨
文部科学大臣賞受賞
平成26年度
日本芸術院賞受章
令和2年(2020年)
紫綬褒章受章

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