気軽に上方舞に触れることが出来る機会かと思います。
お知り合いなどお誘いくださってどうぞご来場下さい。
古典はともだち - 伝統芸能に親しむ
『上方舞と上方文化』
日時:2008年11月6日(木) 午後2時
会場:そごう劇場(大阪/心斎橋そごう本店14階)
受講料:2,000円 (ATPA会員、学生:1,500円) 全席自由
第一部 上方舞 地歌『黒髪』 山村 若 (山村流宗家)
第二部 対談「上方舞と山村流」 山村 若、廓 正子
第三部 お話「上方文化と芸能」 廓 正子(演劇評論家)
第四部 上方舞 長唄『浦島』 山村 若
主催:NPO法人「日本伝統芸能振興会関西支部」
協賛:サントリー株式会社
【問合先】日本伝統芸能振興会関西支部
06-6574-6911
舞台 | comment(0) |
長唄・今藤流家元・今藤長十郎先生が大阪で初めてリサイタルを開催されます。お父君の先代・長十郎先生には学生の時からご指導賜り可愛がっていただきました。先代亡き後は現・家元にも随分お世話になりました。先代が大阪芸大の授業に東京からお出での時は新大阪までお迎えに上がったことも懐かしい思い出です。是非ご来場下さい。
三弦ルネサンス~今藤長十郎の世界
2008年10月7日(火)
そごう劇場(心斎橋そごう本店14階)
1回目 開場午後1時 開演 午後1時30分
2回目 開場午後5時 開演 午後5時30分
前売 4,000円 当日 4,500円
舞台 | comment(0) |
明日は、久々の宝塚大劇場での振付作品・月組『夢の浮橋』の集合日(初顔合わせ)です。前日というのは、どうしてもナーバスになります。明日から忙しくなるので、自分の舞台の稽古(「傾城」・「島の千歳」)に時間がとれなくなるのが心配です。
源氏物語千年紀頌
『夢の浮橋』
脚本・演出/大野拓史
公演期間:
宝塚大劇場公演
2008年11月7日(金)~12月11日(木)
東京宝塚劇場
2009年1月3日(土)~2月8日(日)
振付 | comment(1) |
山本能楽堂での「初心者のための伝統芸能ナイト」に出演させていただくようになって、気が付いたことが色々あります。もともと本行物(ほんぎょうもの=能をもとにした地唄舞)を能舞台で舞うことに対し「おこがましさ」を感じ抵抗があったのですが、能との対比も面白いのではという企画から、能「海士」に対して地唄「珠取り」、そして能「融」より私自身で振付けた地唄「融」を舞わせていただきました。
実際に能舞台で舞ってみて「融は地唄舞であっても、座敷舞になってなかったのでは・・・?」と感じました。つまり、能舞台は三間四方のいわば正方形が基本の空間ですが、座敷は長方形の畳を基調にしていますし、舞う空間も長方形となっています。
「融」を振付けた時はもちろん能「融」を意識はしましたが空間のことまで意識的に振付けたわけではありません。自分でいうのもなんですがあまりにも四方の柱に対して振りが付きすぎているのではと感じたわけです。「珠取り」に関しては、能舞台にのせた時にとても「いきにくい」部分があってそれが逆に「座敷舞」であることなのかなと思った次第です。
舞台 | comment(0) |
昨日は、山本能楽堂にて「初心者のための伝統芸能ナイト」がありまして、能「融」より地唄に移された地唄「融」を舞わせて頂きました。昨年、祖母の17回忌の追善舞踊会に振付し、10月のリサイタル「山村若の会」にて再演致しました演目です。源融は光源氏のモデルになった人物です。演奏者にとっても「融」は、地唄の最高峰とでもいうような大曲のようです。それだけに初心者の方には少し重い演目ではなかったかと心配しました。好きとか恨みとかというはっきりしたテーマが無く、あるのは月光の下過去の栄華を思い舞うという漠然としたものですから振付にも苦労しましたが、舞だけの力で「融」の世界が伝わればと精一杯勤めました。
さて、本日は菊原光治先生のリサイタルが松竹座でありました。息子達も無事に演奏を勤めることが出来ました。長男が国立文楽劇場より客席が近く感じると申しておりました。2階席で菊原先生の演奏を拝聴しても劇場内で音の響きが大変良く、地唄の室内音楽であるということのよさを十分感じることが出来ました。広いようで意外と狭いというか「やはり松竹座は芝居小屋なんだな。」と嬉しくなりました。
その後、菊原先生主催の打上げに参加させていただきました。「融」の話になって、演奏者の先生の一人が滋賀にある「融神社」で毎年地唄「融」を奉納として演奏されているとのこと。「人里はなれた神社ですが神が存在しているような感じを受ける神社です。」とのこと。出来れば一度参詣したく思いました。
舞台 | comment(0) |
【地唄(地歌)および地唄舞(地歌舞)について 1】
日本の芸術音楽は、劇場音楽として発達したものが多いのですが、上方において生まれた地唄(地歌)や筝曲は、家庭音楽・室内音楽として、発展したものです。これらは、検校(けんぎょう)・勾当(こうとう)とよばれた盲目の演奏家によって、伝えられるようになりました。内面に於いてのみ、精神の解放を得ることが可能であった彼らは、研ぎ澄まされた聴覚でもって繊細な音楽を作り上げました。
上流の家庭の婦女子は、つつましく、控えめであるべきだとする生活感情に、この音楽は、広く受け入れられるようになり、上方に住む者にとっては、土地の歌、すなわち地唄(地歌)と呼ばれました。江戸においても上方唄と称され流行しましたが、男性的な武家文化を尊ぶ江戸においては、次第に失われてゆきました。
地唄(地歌)には、家庭音楽として伝えられてきたものと、酒宴席において広く演奏された娯楽性の強いものと大きく二つに分けられます。
地唄(地歌)の短い曲(端歌)に振りをつけられたものが、地唄舞(地歌舞)であり、商いの街・大阪に集う人々をもてなすため、当時の交流の場であった座敷で広く舞われ、座敷舞とも呼ばれるようになりました。
家の稽古場で、地唄舞の下合わせ(リハーサル)をする時など、地唄が室内音楽だと実感し、木と紙と土とで出来た日本家屋の中での三味線や琴・胡弓の響きに幸せを感じる瞬間です。本日は、松竹座で菊原光治先生のリサイタルがあります。妹・光が「ゆき」を舞わせていただき、息子達が「六段の調べ」を演奏させていただきます。
上方 | comment(1) |
上方絵
「十二月の内 まさ月」
「蓬莱に聞きたし君の初便り 芝翫」
文化14年(1817)3月 角座 大切所作事
『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』
大判錦絵 長国画
地唄(地歌)『傾城』 詞章
かすむ夕べに見渡せば 土手を四つ手の通う神 浅茅が原の月の夜も 待乳のぬるる雪の日も 来るとは梅にうぐいすのほうほけきょうの ほの字とは 知っていながら水にすむああ恥かしの初かわず
ええしょんがえ ふけて寝る夜の閨の戸を たたくは夏の水鶏か打つとは秋の狭衣か 袂に残る移り香を しめて伏籠の埋み火に あたりの春のうら若葉 七草そえて幾千代も 栄え栄うるためしかな
三世・中村歌右衛門が文化14年角座で12ヶ月を踊り分けた『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』の正月「傾城」の歌詞の後半を地唄に移したものです。『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』が流祖・山村友五郎の振付であることから山村流に伝わる地唄の演目でも最も古いものの一つです。
文化10年江戸中村座で歌右衛門のライバルであった三世・坂東三津五郎がつとめた同じく12ヶ月の所作事『四季詠寄三大字』(しきのながめよせてみつだい)の内の正月「傾城」(別名・門傾城)の歌詞をそのまま用いていますので江戸吉原周辺の地名が詠み込まれています。
文化10年正月 中座における「慣ちよつと七化(みなろうてちょっとななばけ)」同・3月「慣やはり七化(みなろうてやはりななばけ)」における七変化が地唄となったのが「江戸土産」で、その中の「傾城」(別名・「仮初の傾城」かりそめのけいせい)から地唄にうつされたのが「閨の扇(ねやのおおぎ)」です。
地唄「傾城」は、10月11日(土)国立文楽劇場「東西名流舞踊鑑賞会」にて舞わせていただきます。
地唄舞 | comment(0) |
若祿次門人、若祿之主催による「山村流 上方舞 雪峰会」をご案内いたします。
日時:平成20年10月13日(月・祝) 午後12時開演
場所:国立文楽劇場(大阪・日本橋)
※「雪峰会」の会名から、チラシ画像をリンクしておりますので、詳細はそちらでご参照ください。
若祿次が地唄「浪花十二月」にてお披きに舞い、私は長唄「島の千歳」にて出演予定です。
11日に引き続き、衣裳付けで勤めさせていただきます。(この秋は衣裳付けの女舞が続きます。)
「島の千歳」は「平家物語」に出てくる白拍子の元祖の名です。祖母(四世宗家)の振付で、山村流では裾引きでなく、緋の長袴をつけた白拍子姿で舞います。紋付では何度か舞っていますが、衣裳付けは初めてです。
行事 | comment(0) |
秋は、今年も行事が目白押しです。
そごう劇場で開催予定の、澤千左子先生のリサイタルをご案内いたします。
第八回澤千左子上方地歌の会『浪花ノ廓(さと)の音いろいろ』
日時:平成20年10月15日(水)
場所:そごう劇場(大阪/心斎橋そごう本店14階)
「ぐち」「いざや」「かんちろりん」「五段返し」「堺住吉」といった、上方の地歌、端唄など山村流の舞踊会でもお馴染みの曲目が演奏されます。
当日は、立方として出演し、地歌「浪花十二月」(なにわじゅうにつき)を舞う予定です。
「浪花十二月」は、地歌の中でも座興的に作られたとされる「おどけ物」「作物(さくもの)」「滑稽物」と呼ばれる演目です。「作物」といってもおかしみを表面に出さず、物売りの声や、駕篭やの掛け声が、詠み込まれ軽妙洒脱な味わい深い曲となっています。
歌詞は、元日に始まり、春の七草から十日戎の吉兆や宝恵駕篭、二月最初の午の日に行われる稲荷神社の祭・初午、彼岸会の四天王寺、雛祭り、潮干狩り、野崎詣り、端午の節句、名高いとされた難波のさつき、蛍、天神祭りの情景や、物売り、にわかに六月(みなつき)祓い、七夕、八朔、仲秋の名月、放生会、秋祭りの宮神楽、陰暦十月最初の亥の日に炬燵を出すという亥の子の炬燵、顔見世、餅つき、煤払い、衣配り等の新春を待つ準備、節季候(せっきぞろ)、昔は大晦日にあった節分の豆まきと、大坂の歳時記をめでたく祝い納めます。
江戸時代末期から明治初期にかけての年中行事や市井風俗が描かれていますので、今日では後世に伝える意味でも意義深く、貴重な曲となっています。
舞台 | comment(0) |
来月、国立文楽劇場にて『東西名流舞踊鑑賞会』が開催されます。
『東西名流舞踊鑑賞会』
日時:平成20年10月11日(土)
第一部:午後1時開演/第二部:午後5時開演
場所:国立文楽劇場(大阪市中央区日本橋1-12-10)
※詳細は国立文楽劇場、または上方舞 山村流公式ホームページに掲載の行事予定をご参照ください。
第一部では大叔父の若祿次が地歌『蓬莱』を、第二部では私が地歌『傾城』を舞う予定です。衣裳付で舞うのは平成2年以来。東京・国立劇場主催『舞の会』にて、祖母(四世宗家)が最後に舞ったのが『傾城』で、思い入れのある演目です。
舞台 | comment(0) |
中央区徳井町の山本能楽堂さんでは、毎月第1・第3土曜に『初心者のための上方伝統芸能ナイト』と銘打った催しを開催なさっています。
お能はもとより、地元大阪発祥の伝統芸能をより多くの方々に楽しんでいただこう、伝統芸能を盛り上げたい、というお気持ちに共感し、今年から出演させていただいております。
残る今年は9月第3週、12月第3週の出演予定です。
日時:9月20日(土) 開演19:30(開場18:45)~終演21:10
※上方舞は19:50頃からの予定。
場所:山本能楽堂
詳細:初心者のための上方伝統芸能ナイトホームページをご参照ください。
今月は、地歌『融』を舞わせていただきます。
源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の皇子として生まれながら源姓を賜って臣籍に下った人物で、光源氏のモデルの一人とされています。今も残る太融寺は、父天皇の直願によって彼が創建した寺であり、大阪にも由縁の深い人物です。
地歌「融」は、月光の下で袖を翻しつつ曲水の宴での遊舞をみせる姿など、秋の季節に似つかわしい作品です。
今回は、能の河村栄重師が「融」を演じられますことから、二つの芸能が一つのテーマで織り成す世界をお楽しみいただけると思います。能舞台は清々しい空気に満ちていて、舞台と客席が一体となった心地よい空間ですので、ぜひお運びください。
舞台 | comment(0) |
山村流宗家公式ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
以前より開設しております公式ホームページに加え、このブログにおいても舞台活動予定等の情報を、宗家一門および山村会より折にふれて発信させていただこうと存じます。
さて、初回はブログタイトル『吾斗(ごと)ごのみ』について少しご紹介させていただきます。
『吾斗ごのみ』は山村流の流誌名として平成18年より使用しております。
「吾斗」とは「わればかり」との意味です。文化文政期の山村流の流祖・友五郎が晩年みずからをこのように称しており、名に負うとあって、当時は歌舞伎や舞ざらえの興行、花街の「練り物」と呼ばれた祭礼にと、随所において京阪随一の振付師としてめざましく活躍しておりました。「練り物」とは、芸妓達が様々な扮装をして街を練り歩く大阪の花柳界独自の行事でした。
画像の錦絵(上方絵)に流祖の名が「吾斗好」と残ることにちなみ、本誌を『吾斗ごのみ』と名付けました次第です。
流誌ともどもこのブログにおきましても、山村流や上方の歴史、一門の活動について少しでも皆々様に親しんでいただけますと何より幸いに存じます。
どうぞご愛読のほど、お願い申し上げます。
六世宗家 山村 若
上方絵 天保7年(1836)六月
「島の内ねり物 一夜官女 北森新 いく」「吾斗好」 大判錦絵一枚雪花楼 北英画
上方絵 | comment(2) |
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