昨日は京都造形芸術大学の春秋座で若柳吉蔵御宗家のリサイタルでした。落語の「地獄八景」を舞踊劇にしたもので、今藤政太郎先生が以前リサイタルで発表された長唄作品をもとにされています。最初お話をお受けした時は、「上方の若旦那」という役どころだったのですが、お稽古に伺う度に「上方の旦那」から「上方の大旦那」となり(少々謀られた感がありますが・・・。)白髪の鬘をかぶり完全に老け役となりました。10代後半からお世話になっているスタッフからも「こんなんが似合うようになったんやなぁ~。」と感慨深げに言われる羽目に。前日のリハーサルを含め2日間京都に通いましたが、無事終わりとにかくよかった~。本番が終わってそのまま振付の為、宝塚へ。7日の初日に向けて追い込みです。今年も早く終わりそうです。
舞台 | comment(0) |
来月は、東京の国立劇場(小劇場)に出演予定です。
この『舞の会ー京阪の座敷舞ー』は、国立劇場主催にて例年この時期に開催されており、上方四流の舞を一堂にお楽しみいただける機会とあって、毎回多くのお客様がお運び下さいます。各流の舞手にとっても一年の締めくくりのような会ですので、他の会とは違った「意気込み」のようなものがあります。
初めてこの会に出させていただいた時の緊張感は忘れられません。下合わせ(リハーサル)で、今は無き井上愛子お師匠さん、吉村雄輝お師匠さんが舞台のそでや客席でご覧になっており、まだ「武」の名で舞台に立っていた足が震えました。
今回は、第一部にて地唄(地歌)『道中双六』を舞わせていただきます。当流女舞の名手であった若津也の形見に頂いた縞の小紋を縫いの一紋にして着せていただこうと思っています。若津也も舞の会の常連でした。きっと喜んでくれると思います。
日時:11月22日(土)
開演時間:<第一部> 午後1時 <第二部> 午後3時30分
場所:国立劇場/小劇場(東京都千代田区隼町4-1)
チケット、舞組などの詳細は、国立劇場ホームページにてご確認ください。
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24日は宝塚舞踊会でした。宝塚舞踊会は歌劇団の生徒さん達が自主的に開催されている舞踊会です。普段の歌劇では洋楽ですが、舞踊会は邦楽の生演奏です。お客様も日本舞踊を普段あまりご覧にならない方も多く、自分の舞台には無い緊張感があります。花柳流・藤間流・山村流のそれぞれの味が出る会ですので、担当講師も一生懸命。
お蔭様で春日野八千代先生や西川左近先生にもお褒めの言葉をいただく事ができました。(ほっとしました~!)
振付 | comment(0) |
無事、『傾城』に引き続き『島の千歳』を舞い終えることが出来ました。
ご高覧いただきました皆々様に厚くお礼申し上げます。明日は、『浪花十二月』で、3連戦の最終戦です。
(今、この表現は面白くないことを思い出すので使いたくありませんが・・・。)
『傾城』の筋肉痛がじわじわ出てきました。
(歳のせいでしょうか?)
今月は舞台がもうひとつ。
若柳流のご宗家・若柳吉蔵氏のリサイタルに出演させていただきます。
落語の『地獄八景』の舞踊劇で、役どころは「上方の旦那」です。どんな風になるのでしょうか?
10月30日(木) 午後12時30分開場 午後1時開演
京都芸術劇場 春秋座
京都市左京区北白川瓜生山2-116
(075)791-9207
入場料 8,000円(自由席)
チケット販売 京都芸術劇場春秋座 チケットセンター
(075)791-8240
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上方の地で生まれた舞は、『上方舞』と呼ばれています。
上方舞=地唄舞(地歌舞)と思われる方も多いのですが、山村流の流祖は歌舞伎役者から振付師に転向しただけあって歌舞伎舞踊も有り、長唄・常磐津・清元(かつてはそれらをまとめて江戸唄と呼んでいました)の演目も残っています。
『上方舞』という呼称は、おそらく江戸からの目線によって呼ばれたものです。
上方の人にとっては、山村流は『舞』の流儀であり、あえて『上方舞』と呼ぶことはなかったと思います。
『舞』は、『舞浚え』などで座敷にて舞われたことで、『座敷舞』とも呼ばれました。酒宴席で芸妓が舞を勤めるようにもなり、埃を立てぬ様に半畳の空間でも舞えるようにと工夫されてゆきました。
『舞浚え』といっても、当初は豪華な衣裳と派手な演出で催されました。座敷も今のものとは規模も違っています。商いの街・大阪という土地柄、座敷は交流の場として重要視され、それに伴い「舞」も発展してゆきました。
画面は、江戸時代の山村流の『舞い浚え』の『摺り物』です。地唄・長唄・常磐津・端唄(上方唄)などの様々な演目が出されていることがわかります。
今日は、『東西名流舞踊鑑賞会』でした。無事、地歌(地唄)『傾城』を終えることが出来ました。
ご来場いただきました皆々様に厚くお礼申し上げます。
鬘だけで、5kg以上あったでしょうか?
既に首や背中が痛いです・・・。
江戸時代には「傾城」と呼ばれる演目だけでも40以上あったそうです。『芝翫傾城』と呼ばれる長唄の「傾城」を一度舞ってみたいと思いました。地唄(地歌)の「傾城」を本衣裳でやってみて、「地唄舞」(「地歌舞」)として無理があるようで、どうも、しっくりとこないからです。
本当に、舞台で舞ってみてしか掴めないことも結構多いのです。
明日は、13日の舞台の為に、「稽古」「稽古」です。
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【地唄(地歌)および地唄舞(地歌舞)について 2】
山村流の流祖・友五郎は、振付師として歌舞伎番付に「師」と記されるほどの実力を持ち、花街はもとより一般子女の舞指導においても大坂の街を席巻するようになりました。
友五郎は、女性向けに歌舞伎舞踊を短くまとめた演目や、能楽の仕舞を取り入れて地唄(地歌)に振りを付けた地唄舞(地歌舞)を門弟に教えました。
「舞浚え」と呼ばれるお浚い会が盛んに催され、その舞を養子(二世・友五郎)養女(れん・登久)に伝えたのが山村流のはじまりです。
流祖が振り付けた当時はより仕舞に近いものであったと考えられますから、
地唄舞(地歌舞)は「心で舞う」と言われてはいますが、
最初に「型」と「間」が有りきで、そこに「心」を加えていくのが正確であると思います。
舞台芸術となってから発達した地唄舞(地歌舞)にはない『根』のようなものが
山村流の舞には存在しています。
明日は、『東西名流舞踊鑑賞会』の下合わせです。
『傾城』はもとは歌舞伎舞踊ですが、地唄舞(地歌舞)に移され伝えられてきた段階で
女性が舞う作品となってゆきました。
それをまた、男性である私が舞うのですが、作品はあくまでも地唄舞(地歌舞)ー。
いっそ長唄に移したらもっと気楽に舞えるのでしょうが・・・。
作品によって『根』は様々です。それを一つ一つ解き明かしていくのも務めの一つと考えています。
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