上方絵
「十二月の内 まさ月」
「蓬莱に聞きたし君の初便り 芝翫」
文化14年(1817)3月 角座 大切所作事
『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』
大判錦絵 長国画
地唄(地歌)『傾城』 詞章
かすむ夕べに見渡せば 土手を四つ手の通う神 浅茅が原の月の夜も 待乳のぬるる雪の日も 来るとは梅にうぐいすのほうほけきょうの ほの字とは 知っていながら水にすむああ恥かしの初かわず
ええしょんがえ ふけて寝る夜の閨の戸を たたくは夏の水鶏か打つとは秋の狭衣か 袂に残る移り香を しめて伏籠の埋み火に あたりの春のうら若葉 七草そえて幾千代も 栄え栄うるためしかな
三世・中村歌右衛門が文化14年角座で12ヶ月を踊り分けた『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』の正月「傾城」の歌詞の後半を地唄に移したものです。『莫恠踊化姿(またかいなじゅうにばけ)』が流祖・山村友五郎の振付であることから山村流に伝わる地唄の演目でも最も古いものの一つです。
文化10年江戸中村座で歌右衛門のライバルであった三世・坂東三津五郎がつとめた同じく12ヶ月の所作事『四季詠寄三大字』(しきのながめよせてみつだい)の内の正月「傾城」(別名・門傾城)の歌詞をそのまま用いていますので江戸吉原周辺の地名が詠み込まれています。
文化10年正月 中座における「慣ちよつと七化(みなろうてちょっとななばけ)」同・3月「慣やはり七化(みなろうてやはりななばけ)」における七変化が地唄となったのが「江戸土産」で、その中の「傾城」(別名・「仮初の傾城」かりそめのけいせい)から地唄にうつされたのが「閨の扇(ねやのおおぎ)」です。
地唄「傾城」は、10月11日(土)国立文楽劇場「東西名流舞踊鑑賞会」にて舞わせていただきます。
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