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山村流 『吾斗ごのみ』日本舞踊上方舞山村流宗家山村友五郎 公式ブログ
2008/10/11 (Sat) 『舞浚えの摺り物』



上方の地で生まれた舞は、『上方舞』と呼ばれています。
上方舞=地唄舞(地歌舞)と思われる方も多いのですが、山村流の流祖は歌舞伎役者から振付師に転向しただけあって歌舞伎舞踊も有り、長唄・常磐津・清元(かつてはそれらをまとめて江戸唄と呼んでいました)の演目も残っています。

『上方舞』という呼称は、おそらく江戸からの目線によって呼ばれたものです。
上方の人にとっては、山村流は『舞』の流儀であり、あえて『上方舞』と呼ぶことはなかったと思います。

『舞』は、『舞浚え』などで座敷にて舞われたことで、『座敷舞』とも呼ばれました。酒宴席で芸妓が舞を勤めるようにもなり、埃を立てぬ様に半畳の空間でも舞えるようにと工夫されてゆきました。

『舞浚え』といっても、当初は豪華な衣裳と派手な演出で催されました。座敷も今のものとは規模も違っています。商いの街・大阪という土地柄、座敷は交流の場として重要視され、それに伴い「舞」も発展してゆきました。

画面は、江戸時代の山村流の『舞い浚え』の『摺り物』です。地唄・長唄・常磐津・端唄(上方唄)などの様々な演目が出されていることがわかります。

 今日は、『東西名流舞踊鑑賞会』でした。無事、地歌(地唄)『傾城』を終えることが出来ました。
ご来場いただきました皆々様に厚くお礼申し上げます。
鬘だけで、5kg以上あったでしょうか?
既に首や背中が痛いです・・・。

江戸時代には「傾城」と呼ばれる演目だけでも40以上あったそうです。『芝翫傾城』と呼ばれる長唄の「傾城」を一度舞ってみたいと思いました。地唄(地歌)の「傾城」を本衣裳でやってみて、「地唄舞」(「地歌舞」)として無理があるようで、どうも、しっくりとこないからです。

本当に、舞台で舞ってみてしか掴めないことも結構多いのです。
明日は、13日の舞台の為に、「稽古」「稽古」です。

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プロフィール

山村 友五郎

Author:山村 友五郎
本名・山村 武
文化3年(1806年)創流、上方舞・山村流の六世宗家。祖母である四世宗家、早逝した母・糸(五世宗家を諡)の遺志を継ぎ、平成4年に「若」を襲名。
流祖 山村友五郎よりの歌舞伎舞踊と、京阪神で発展した座敷舞(地唄舞)という二つの流れを大切に、古典の維持・伝承に努め、歌舞伎・文楽・宝塚歌劇等の振付も数多く手がけている。
平成18年には創流二百年舞扇会を開催。
平成26年、流祖の名跡を「六世宗家・三代目友五郎」として襲名。併せて長男が「四代目 若」を襲名。

【賞暦】
平成13年
文化庁芸術祭新人賞受賞
平成15年
舞踊批評家協会新人賞受賞
平成18年
芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞
平成19年
文化庁芸術祭優秀賞受賞
平成20年
日本舞踊協会花柳壽應賞新人賞受賞
平成21年
大阪文化祭賞受賞
平成22年度
芸術選奨
文部科学大臣賞受賞
平成26年度
日本芸術院賞受章
令和2年(2020年)
紫綬褒章受章

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