今日で8月が終わりですね。まだまだ暑い日が続いておりますが皆さんお元気ですか?
今年は、スケジュールがなかなかとれず出演させていただけなかった伝統芸能ナイトに9月3日久々に出演させて頂きます。「閨の扇」を舞わせて頂きます。夏に重宝がられた扇でも秋になると忘れられるように、私も同じように捨てられてしまったという遊女の女心を詠っています。季節の移ろいを感じて頂きますと幸いです。是非ご覧ください。
地歌 「閨の扇」(ねやのおうぎ)
閨の扇はな みんな絵空事 逢わぬつらさをこがるるよりも
逢うて別るる事こそつらや 秋の扇と捨てられて 秋の扇と捨てられて
わしゃどうもならぬえ 何と思うていさんすことか
ゆるがぬように要が大事 サアそうじゃえ
手折りもやせん人心 流れの水に誘われて 浮気にひびく里の鐘
聞けば心も澄みやらぬ 宵の口舌に無理なささめごと
言わず語らず胸せまり かねて退(の)こうと思うていさんす心かいな
そうかいな そうかいな 嘗めた男の面憎や すかぬ おお好かぬ
品よく扇取る袖の 風に靡かぬわが心 聞かば嬉しき君がつま琴
【解説】 作詞・作曲者不詳。
能「班女」と同じ中国の故事に基づいており、秋の扇のように捨てられ、男を恨みながらも思い切ることができない遊女の心情をうたっている。「秋」は「飽き(る)」との掛詞。
前半は故事の雰囲気を映す一方、「手折りもやせん」以降の後半部分は、江戸時代・文化八(一八一一)年三月中村座の三代目歌右衛門の七変化所作事(の内、「仮初(かりそ)めの傾城」なる一曲目)に転用された時に補われたと考えられ、世話物の色が濃い詞章となっている。
三代目歌右衛門は上方出身で、歌舞伎の振付師であった山村流の流祖・友五郎(吾斗)とは盟友であった。この七変化「遅桜手爾波七字(おそざくらてにはのななもじ)」を大坂に戻った歌右衛門が再演したのが「慣ちょっと七化(みなろうてちょっとななばけ)」で、振付を友五郎が手掛けた為、山村流では最古の伝承曲の一つとして地歌化したこの曲を大切に扱っている。
題に「扇」とある通り、扇の手が非常に多い上に、捨てられた女の哀切な心、恨みや未練を表現するには扇をよどみなく艶やかに扱うことが求められ、上方舞でも特に山村流では「扇取り」に特徴があり技巧を要する難曲である。
また、山村流ならではの振りとして、大坂・新町の廓で行われていた「かしの式」(廓客の初見に太夫が顔見せをする際、盃を手にして肩を切るように簪にあてる作法)が取り入れている。
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