日本舞踊上方舞山村流公式配信YouTubeチャンネルの動画をこちらでもご紹介しております。
第六十回目は地唄『石橋』をご覧いただきます。
(文末に、別途解説を記載いたしました。)
山村流では四世宗家振付のご祝儀曲としての「石橋」が伝わっていましたが、六世宗家友五郎が全曲を振付致しました。今回の二枚扇はその一部です。
今回は六十回記念という事で友五郎チャレンジとして、この『石橋』を目隠しをして舞ってみたいと思います。
今回も20分超えといつもより長くなっておりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
第二回山村友五郎の会の動画を配信しております。
今回ご覧頂いた地唄『石橋』も配信されておりますので、以下のURLにて是非ご覧ください。
https://filmuy.com/yamamuraryu
『石橋』は元々能楽由来の曲ですが、地唄では享保期(1716~35)に活躍し三都随一の女形と評された歌舞伎役者 瀬川菊之丞の作詞として伝わっており、菊之丞が芝居の最後に踊った曲が地唄に移され伝わった物と考えられていますので能と歌舞伎のどちらにも影響を受けた曲です。
能『石橋』のあらすじ
インドの仏跡を巡る旅を続ける寂昭法師は、中国の清涼山にある石橋付近に着きます。そこに少年が現れ、橋の向こうは文殊菩薩の浄土であること、この橋は人には渡ることは難しいと教え、ここで待てば奇瑞を見るだろうと告げ、姿を消します。
寂昭法師が待っていると、やがて、橋の向こうから文殊の使いである獅子が現われます。香り高く咲き誇る牡丹の花に戯れ、獅子舞を舞ったのち、もとの獅子の座、すなわち文殊菩薩の乗り物に戻ります。
菊之丞は、享保十九年(1734)「夕霞浅間嶽」のキリ(演目の最後)「相生(あいおい)獅子(じし)」を踊り、「浅間嶽」の後に「石橋物」を付ける形を確立しました。「浅間嶽」は、「浅間物」という系統の舞踊の原拠となった作品で、非業の死をとげた傾城・奥州との誓紙を燃やすと煙の中から奥州の霊が現れ恨み事を述べるという当時女形が盛んに行った「怨霊事(おんりょうごと)」と呼ばれた演出が用いられ、奥州の魂は普賢菩薩によって救済されるという筋書きとなっています。陰惨な作品の後に、単に「石橋」という祝言性のある踊りを付けただけでなく、「石橋」の獅子は「文殊菩薩」の眷属(けんぞく)(従者・使い)であり、「文殊菩薩」と、浅間嶽の物語の発端をなす「普賢菩薩」は、釈迦如来の左右に控える脇侍(きょうじ)(仏教彫刻の仏像や仏教絵画において、信仰の中心となる仏(中尊)の左右に控える菩薩や明王天などをいう)であり、この作品はさながら曼荼羅の態を成しているのだそうです。
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