継ぐこと伝えることについて、考えています。
伝えられた者は伝えられたと考えるけれど、伝える方は完全に伝えることが出来たとは決して思わないし,
すべてを伝えられるとも考えていない。
何十年もかけて磨き上げた技術や芸も肉体が滅びてしまえばそれで終わりです。
自分は「伝えられた」と信じ、それを口にする者ほど自分の芸をそれ以上高めようとせずに満足してしまう。
今年も12月13日の事始めが終わり、新しい年を迎えようとしています。
13日は楽正の密葬の日となりました。
子供心に、楽正の扇さばきを瞬きもせず見入ったこと。それから扇をおもちゃ代わりにしてずっとまわして遊ぶようになったこと。ある意味で自分の目指すところはここなのだと思ったこと。
お師匠さんの魂はまだそこにあるような気がして、本年のお鏡だけは飾らしていただきました。
「芸は一代」で儚いものだとつくづく思います。それでも、繋いでいかなければと思っています。
地唄舞 | comment(2) |
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ご冥福を祈ります。
昨年の11月、東京国立劇場で楽正先生の舞を鑑賞させて頂きました。 年齢を感じさせないはなやかさと、なにより、お顔に緊張感を感じる他の方々と違う柔らかい〈ほほえみ〉には、なごまされるものがありお顔も、舞の一部なのだと感銘させられました。
なにわ塾叢書『舞わせてもらいます』がポストに到着したちょうどその日、新聞で訃報に接しました…。 「歌右衛門狂乱」を一度拝見したかったと悔やまれます。
限りある肉体として「芸は一代」ではありますが、きっとこれからも受け継がれていくでしょう舞の心がある、と信じております。
若先生には、寒さに向かいます折お体をお大事になさいますように。
2008/12/20 08:44 | ミーシャ [ 編集 ]
返信おそくなりました。
ミーシャさんいつもコメント有難うございます。
1月27日楽正の本葬を終えやっとほっと致しました。今後ともよろしくお願い致します。
2009/01/31 02:01 | わか [ 編集 ]
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