山村流の流祖・友五郎は3代目・中村歌右衛門と子供芝居で共に舞台を勤め、歌舞伎役者となり、後に歌右衛門の振付で振付師としての地位を確立することになります。ですから、歌右衛門さんの「狂乱」ということで「歌右衛門狂乱」という名の演目が残ったりと、山村家では、歌右衛門ゆかりの曲は流祖より伝わっている曲である証であり、特別大切に扱われています。
地唄や上方唄は上方のものであるはずなのに、江戸の地名を詠んだものもあります。
地唄「傾城」上方唄「文月」などがそれにあたりますが、大坂の役者であった歌右衛門が江戸下りの折に勤めた曲を故郷に持ち帰り上方の地でそれが定着し残されたためだと考えられます。
山村流の手ほどきの曲の一つに端唄「夕暮れ」という曲があり、隅田川周辺の情景を詠っていますから、何故うちの手ほどきに使われているのか不思議だったのですが、こんな小曲でも流儀に伝わっていった背景を改めて考えれば感慨深いものがあります。
従来の研究書や解説書を読むと大抵が、東京からの目線で書かれていることに気がつきますが、丁寧に古い大坂の文献や上方絵、歌舞伎番付をたどってゆくと祖母や大叔母、古い師匠達の言っていたことなどが思い当たったり、また、振りの意味が明確になったり「パズル」が解けたような気持ちになる時があります。今のうちにそれを文字にしておきたいと思ったことが「流誌」を発刊したり、ブログを始めたりした動機です。
上方の目線で遺されたものを検証し、次の時代に伝えたい。これも大切な使命だと思っています。
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