舞扇会では、「山姥」と「霧の雨」と「石橋」を舞わせていただきます。
「山姥」は大叔母・久子が伝えた作品ですので、七回忌にあたる本年、追善の思いで舞わせていただこうと以前から決めていましたが、楽正おっさんも好んで舞っていましたので奇しくもおっさんへの追善ともなりました。おっさんが生前「山姥」で着用していた衣裳を形見として頂いたので大急ぎで半腰(袴付けで舞う着物ならなんとか着れそうなので)に仕立て直してもらっています。
「霧の雨」は若津也おっさんが舞扇会で最後に舞われた演目で、おっさんの最後の舞台になるのではと辛い予感をしながら後見を勤めました。後に控えていても若津也おっさんの作品に込める情感が伝わり本当に色んなことを学ばせていただきました。大叔母が3月になくなった後、4月におっさんが亡くなりました。その年の桜は本当に辛い思いで眺めました。いつ咲いたかいつ散ったか分からぬような状態でした。二人とも桜が好きだったので仲良く桜の季節に逝ってしまいました。
晩年、耳が聞こえにくくなられた若津也おっさんとのやりとりはもっぱら妻との手紙でしたが、舞台の事などすぐに伺いたい時のためにおっさんにファックスをプレゼントしたのも懐かしい思い出です。
若津也おっさんが亡くなった後、門人達の稽古をするようになりましたが、おっさんの門人、若美也さんも本年一周忌を迎えました。若美也さんは、病が深刻な状態であると知り律儀に挨拶をしに稽古場に挨拶に来てくれ、「他の事は何も思い残すことはないが、「山姥」を稽古しながら舞台で舞えなかったことだけが心残りだ」と話していました。
皆、幼少の頃から山村流に入門し、山村流に生きた人生でした。
先人たちの思いを受け止めて、今年も舞扇会を勤めさせていただきます。
舞台 | comment(1) |
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舞扇会へのお気持ち大切に拝見します
若津也師の最後の舞台、袖からビデヲを撮りお家元様の温かく優しさ一杯の後見で「桐の雨」を安心して舞っていたのを目のあたりにして感動した事を思い出します。若津也の古い弟子達は皆、舞踊家に成ってないから公には追善会を催す事はしなかったけど七回忌を終え、私は追善曲を舞う機会が在った事ですっきりしました。
2009/04/27 17:08 | ピノコ [ 編集 ]
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